一般財団法人 津山慈風会

 

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津山慈風会の歴史
一般財団法人津山慈風会
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岡山大学・津山中央病院共同運用
がん陽子線治療センター

 

 

 

津山慈風会の歴史

  1954年7月、津山市二階町(現津山中央記念病院)に岡山県北初となる総合病院、津山中央病院が誕生しました。戦後の混乱期を抜け、経済成長へ向かうさなか、津山市を中心とする作北地域は人口30万人規模地域ではゆいいつ総合病院がないといわれていました。
 「この地域で最新の医療設備を備えた総合病院をつくり、助かる命を一人でも救いたい。」牧山耳鼻科の牧山堅一医師と宮本整形外科の宮本祥郎医師の決断に額田外科の額田須賀夫医師、上野眼科の上野英高医師らも賛同し、1954年4月経営母体となる津山慈風会が設立されました。当時、総合病院は公立が主流だったため民間の総合病院は極めて異例でした。開業医は小児科医師や産科などの医師を確保し、土地や医療機材といった私財も提供して、9診療科、100床を超える県北の医療拠点が生まれました。
 

 

 

 

 

  総合病院津山中央病院の母体となった、財団法人牧山慈風会は、昭和28年10月認可せられ、翌年4月1日に医療法人宮本病院と合併し、新たに財団法人津山慈風会と改称した。
 太平洋戦争後の混乱期を漸く脱し国民医療の確立を目指して政府、国民、医界がそれぞれの立場に於いて努力しつつある期にあたり、わが津山市に於いても総合病院の必要性を強く感じていた。医学は目覚ましく発展をつづけ、治療学の進歩にも目を見はるものがあり、医師個人も之に追従することは学問的にも経済的にも容易なことではなかった。


 

  このような時代的背景のもとに数名の有志が相集り私利を捨てて団結し、夫々の有する力を持ち寄ることによって、早急に総合病院を建設することを約したのである。

 (中略)

 

 総合病院津山中央病院 20周年誌 
財団法人津山中央病院慈風会理事長 
故宮本祥郞記

  

 

昭和29年新聞記事より

 

 かねてから準備を進めていた牧山慈風会を中心とする総合病院建設計画は津山市内の開業医の協力を得て具体化し、その第一期工事に着手した。人口30万という作北地帯に総合診療機関がないというのは全国的に唯一ヶ所のみなので、厚生省でも県でもその趣旨を大いに支援している。市内の開業医10余名が力を合わせて社会事業にまで手を延ばそうということは、全国的にみてテストケースである。

 その計画によると、第一期工事として額田外科病院と牧山病院につなぎ更に300坪の建築を行い、100床の病床の総合診療所をつくる。第二期工事として宮本病院をつないでその間に大手術室、検査室、伝染病棟、大講堂を新設するもので、1,400坪にわたり、二階町元魚町にかけて三つの病院をつなぐ地域に大総合病院が出現しようとしている。

 

 

財団法人津山慈風会 沿革